【緩和ケア】:小林麻央さんの感じた「許されていく感じ」とは。
こんにちは!Ph.塩です。
今回は「緩和ケア」についです。
まずは最近世間で注目されている以下のニュースをご覧ください。
ー小林麻央さん 「闘病中に感じた“後悔” 痛み止めの薬で許されていく感覚がした」
▽
がんが発覚してからは「あのとき、もっと自分の身体を大切にすればよかった。
あのとき、もうひとつ病院に行けばよかったあのとき、信じなければよかった…」と自らを責めたそうで、痛み止めを飲むことを避けていた時期があったことも明かした。
「癌の痛みで限界を感じて、ようやくようやく薬を飲んだとき、身体の痛みが和らいで、なんだかわからないけれど、『許されていく』感覚がしたのです」と述懐。
さらに「私、悪いことしたから病気になったわけでもないのに、なんで勝手に罰みたいに苦しんでいたのだろう(中略)
それほどの意味もないのに、それほどの理由もないのに、自分を許さないなんてあまりに自分に対して可哀想だったと思います」と振り返った。
ー引用ここまで
小林さんは34歳の若さにして乳がんとの闘病生活を送っていらっしゃいます。
本当にお辛いことでしょう。
このような有名な方がブログなどで緩和ケアや乳がんについてコメントすることは本当に世の乳がんや疼痛で悩んでいる方々のためにもなると思います。
今日はこのコメントの中にもある「痛み」について緩和ケアを中心に書いていきます。
目次:
1.痛みって何?
2.緩和医療を受けることは恥ずかしい?
3.「許されていく感じ」とは
4.緩和ケアにおいてよくあるご不安な点について
5.緩和ケアまとめ
みなさん、痛みって種類を問わず嫌ですよね。
小指をぶつけた、傷ができた、掻きすぎて皮膚に傷がついたなどなら自分でもわかっていますが、胃が痛い、頭が痛いというようにどこがどうなっているというのはわからないけど痛みがあるという状態も含めて、痛みというのは様々な体の不調のサインでもあります。
がんによる痛みというのもがん細胞が浸潤して組織や神経を侵害するため痛みとして伝わります。
本当に「痛みを感じる神経ごと消えてくれれば良いのに!」と思う事も少なくありません。
しかし、私たちに痛みという感覚がなかったらどうなるのでしょうか?
腕を切ってしまっても、何処かにぶつけて骨を折ってしまっていてもずっと気がつかないままで治療が遅れてしまうかもしれません。
また、「痛いことに対する恐怖心」というものがなければ怪我や病気を回避したり気をつけたりすることも無くなってしまうのかもしれません。
このように痛みというのは私たちの身体や命を守る、生命活動に欠かせない役割を持ちます。
しかし中には「生きて行く上で必要のない痛み」という種類の痛みもあります。
原因がわからない痛みというのはそれだけで大きなストレスになりますし、不眠、ストレス、胃潰瘍などのその他の病気を呼び寄せてしまうかもしれません。
この「生きて行くのに不必要な痛み」というものを取り除くことを目標とした医療が緩和医療というものになります。
小林さんがおっしゃっていることは日常的に患者さんが口に出される思いと非常に似ています。
「我慢は美徳」、「自分の思いを訴えることは恥ずかしい」という古き悪き考え方が日本人には強く残っていて、なかなか痛みに関して最初からしっかり訴えてくださる方は多くはあ
りません。
また病院にお世話になっているという事を強く感じてこれ以上迷惑をかけてはいけないという考え方をされる方もいらっしゃいます。
これは痛みというものが主観的であることが原因でしょう。
胃潰瘍だったり、何らかの腫瘍だったり検査値に現れたりすれば本人が何も言わなくても目の前の現象として病気の進行がわかりますからコミュニケーション的な問題点は起
こりにくいです。
ですが、痛みは他人にはわからず、本人の評価がほとんどとなります。
ここで真の痛みや困っていることを医療従事者に伝えることが難しいという問題点が発生します。
ですから我々はイラストで書かれた表情で示すFace scale や、0〜10点満点で痛みを評価するNumerical Rating Scale(NRS)などを用いて患者さんから痛みを点数として教えてもらい、その痛みのスコアに見合った治療を考えているのです。
ここで我慢をしてしまうと、我々の治療が現在の患者さんの状況に合わないものとなり、痛みが残ってしまうのです。
あまりに我慢されている患者さんは痛みのせいでベッドから動くことができず、行動がかなり制限されているので見ていればわかりますが、我慢強い患者さんやそもそもベッ
ドから動いたりしない患者さんの場合こちらから把握することが難しい場合もあります。
こういう時に患者さんから痛みに関して、またその他の困っていることに関してなんでも教えてもらえるとよりよい治療ができるのですね。
また、痛みを抱えたまま原疾患の治療を継続するよりも、痛みを抑えながら原疾患の治療を行った方がその後の経過が良いというデータもあります。
こう言ったことから痛みや困っていることを訴えることは非常に大事であり、恥だとか、迷惑だという考え方は是非とも捨ててどんどん医療従事者と相談して欲しいところですね。
小林麻央さんが語った「許されていく感じ」というのは正直に言って本人にしかわからない言葉のあやというものがあるでしょう。
しかし医療現場、特に緩和医療の場ではよく「許されていく感じ」を患者さんが経験している様子をうかがうことが出来ます。
痛みと毎日24時間休み無く戦っている緩和ケアの患者さんはいつしか自分を痛みと戦って当然の存在だと認識し始めます。
これは心理学の世界の「役割期待」の拡張版とでもいいますでしょうか、人間は現在の与えられた環境、状況、役割などに自分を当てはめる性質があるのです。
これにより戦う自分でなければいけないと思いがちになっていきます。
これは非常に良くないことで、戦う必要がないのに気持ちの中では戦っていますのでますます余裕が無くなり医療従事者にヘルプを出すことが遅れます。
よく「あなたにはわからないでしょ」とか、「この痛みを経験したことが無い人にはわからないでしょうね」と患者さんから言われることもあります。
それはまさにその通りですし、ここに反論する気は全くありません。
ですがその痛みに対して何とか経験せずに済まないか?と考えることを放棄してはいけません。
患者さんにしかわからない痛みを教えてもらい、医療従事者がその対処法を一緒に考えるという二人三脚の治療が緩和医療には求められています。
小林麻央さんは二人三脚の治療を始めることが出来たようで本当に良かったことだと思います。
上記の小林さんの「痛み止めを避けていた」という点については本当によくある話ですのでこのあたりをもう少し掘り下げたいと思います。
・麻薬が怖い
この理由もよく口にされる言葉です。
麻薬という響きが非常に良くないのかもしれません。麻薬については以前記事にもしていますのでよろしければ参考にしてください。
麻薬は疼痛がある場合に使用しても乱用とはならず、いわゆる中毒のようにはなりません。
また痛みが無くなってこれば麻薬を止めることも可能ですし、麻薬を使ったからと言って正しく使っていればその後の体の状況に影響があるわけでもありません。
しかし我々は日常茶飯事に麻薬を使用していますが、患者さんにとっては初めて使用するに近い状況であり、不安であることは当然でしょう。
我々は医療従事者としてしっかりこの不安を個別に解消する手立てをその都度その都度考えていく必要があります。
・医療従事者に申し訳ない
これも痛みに対して一人で戦っているが故に出てくる言葉の一つでしょう。
申し訳ないと思うことに対する色んな考え方が出来ますが、医療従事者に申し訳なく思う必要は一切ありません。
むしろ、緩和ケアについては患者さんとの二人三脚で成り立つものですから、しっかり状況を医療従事者に伝えることは非常に助かります。
しっかりコミュニケーションをとることが出来なかった場合に医療従事者は患者さんにとても申し訳なく思う事はあっても、患者さんがコミュニケーションをとろうとしてき
て何か思うことは決してありません。
・どうせ痛みなんて取れない。何をしても無駄。
辛く、長い戦いを強いられてきた患者さんや、余命の告知後の患者さんによく聞かれる言葉です。
この言葉を出されたときの心情を考えると非常に胸が痛くなります。
ですが、痛みに関して全くお手上げで何もすることが無いという状況は現代医学ではありません。
確かに神経障害性疼痛など介入しにくい痛みはあることはありますが、それでも全く介入できないと言うことは無いのです。
また精神的に何をしても無駄だと思っている患者さんに対しては、傾聴、向精神薬などの間接的なアプローチも考えられます。
特に傾聴は簡単な様で非常に難しく、高いコミュニケーション能力を必要とされます。
しかしうまく患者さんとの信頼関係を築けたときには最も有効な手段になる可能性もあります。
緩和ケアは非常に奥が深く、WHOのガイドラインに則って治療を進めても個別の対応を必要とされるときが非常に多くあります。
こう言ったときにどのような治療がその患者さんに本当に役に立つのか、必要なのかということを考える必要があります。
そうすると第一に必要になってくるのは患者さんとのコミュニケーションです。
できればコミュニケーションを重ねて信頼関係を築けると良いでしょう。
とても難しいことですが私は日々そういったことを意識して薬物治療に関与しています。
小林麻央さんのように「許されていく感覚」を感じてもらえるような薬物治療を目指したいものですね。
にほんブログ村