【オプジーボ】:薬で日本のお金が食い尽くされる?
こんにちは!Ph.塩です!
今回は「日本の医療にかけられるお金がなくなる」です。
画像著作者:Japanexperterna.se
あまり明るくない話題ですがなかなか笑えない状況なんですよね。これ。
よく週刊誌あたりが「医師が全てを告白!医療は崩壊する!」とかそういうタイトルでネタにしていますが、あれ意外と的を得ているところもあります。
まぁ、週刊誌は商業誌ですから誇張しておもしろおかしく書く悪いところもあるんですが方向性としてはだいたい間違っていないかと思います。
みなさん高額医療制度って知ってますか??
高い金額の薬が必要になったり治療を受けた時に一定以上の金額に達すると定額を自己負担すればあとは公費で払ってくれる制度です。
声を大にしていいますが、こんな夢のような制度は世界中どこを探してもないんですよ!
無理なんです。今後もずっと税金でまかない続けるのは。支える時代は減るし、支えられる時代は増えるし。
そうするとどうなるのでしょうか?あまり考えたくないですね。
弱肉強食の世紀末のような時代が来るとは言いませんが、ちょっと真面目に考えてみました。
目次:
1.オプジーボという鎖
2.高い高い!!高すぎる!もうむり!
3.高い高い!高すぎ...え!?50%OFFだって!?
4.なんかいろいろ書いてあるけど本当の問題は。
一つの例として抗がん剤の「オプジーボ」のお話をしましょう。
これまでこのブログでは抗がん剤の「オプジーボ」に関してこういう薬だよ!という記事はアップしたことがあります。
簡単に言うと近頃注目の免疫システムを利用した抗がん剤です。
これまでになかった作用機序で、がん治療の分野に彗星の如く現れた救世主になり得るお薬です。
そしてこの救世主、ものすごい額のお金を要求します。
標準的な体型の人が治療を完遂するのに薬代だけで約3500万円前後かかります。
高いですよね...家が建ちますね。
一回当たりの投与のための金額もいちいち車が買える金額です。
しかしなんと、高額医療制度を利用すればその金額の90%以上を公費で払ってもらうことが可能です。
言い換えれば我々国民の税金でそのお薬を購入しているということですね。
でもこの薬、特徴として以下のような特徴を持ちます。
・がんに効いているかどうかわかりにくいため、「やめ時」が分かりにくい。
・事前の遺伝子検査などで薬が効くかどうか測定できないので使える人が多い。
つまり、あと一回、もう一回やれば劇的に効くかもしれない!という希望を捨てることができない。
それに加えてこれから「オプジーボ」の治療をやろうかなという人も遺伝子検査によって効くかどうかの判別ができないからやってみるしかない。
たとえば「アレセンサ」というこれまた高額な薬がありますがこれはALK遺伝子という遺伝子検査の結果を受けて効く人効かない人の選別を行うことができます。
オプジーボは免疫システムに効くので全員が効く可能性を持っているし、いつ効果を発揮し出すかわかりにくいんですね。
つまり、こんなに高い薬を「まずはやってみる」ことしかできない上に「やってみたらやめ時の指標がない」のです。
だれも自分の家族がこの薬を使用し始めて「医療経済に打撃だからやめようよ」なんて言いませんよね?そんなこと絶対に言えません。僕も言いたくない。
でも、こんな高い薬を税金で使っていていいのでしょうか?
このあたりでそろそろ「命はお金で買えない!そんな議論は非人道的だ!」なんて声も聞こえてきそうですね笑
子供が駄々っ子をしているような副題ですが、その通りなんです。
だれが払ってくれるのでしょうか?このお金。
3000万円かけて救った命は、生き延びた後に市場で3000万円相当の経済活動を行ってくれるのでしょうか?
ものすごく非人道的な話をしているのは百も承知です。しかし、資本主義ってそういうものでしょう。
A5ランクの肉をスーパーの特売肉と同じ値段で買うことができないのは小学生でも分かっています。
もちろん、そういうことをいったらすべてが自己責任になってしまい、話にならないでしょう。
問題なのはここで、どこまでが「無理」なのかを明確にしておかないといけません。
我々の国は今後も続いて行くのですから100%の力で走り続けて20年後に0になるよりも、60%位の力で小走りにして今後も続けていく必要があるのです。
しかしどのようにしてそのさじ加減を行っていくのでしょう?
オプジーボに関しては年齢制限でしょうか?たとえば75歳以下の人にはこの薬を使わせないことなんてできるのでしょうか?
もしくは体重換算で使用量が決まるために、肥満の人は痩せないと使用できないとするのでしょうか?
もしくはあみだくじ?じつはあみだくじは過去に抗生剤が発見されたばかりの頃に製造が追いつかず使用に関しては実際にあみだくじが行われたこともありました。
もしくは社会的に価値があるかどうか?今後金を稼いだり何か「価値」があるとみなされた人には使用できるとか?その人を支える専業主婦の奥さんはどうなるのか?
こんな風に、制限の仕方はいろいろあるとおもいますがどれも患者さんからしたら納得できないですよね。
だって自分の大切な人を救える可能性がある薬をなんだかんだいって使わせてくれないなんて、医療制度に家族を殺されたと言われても言い返せません。
近頃ニュースではオプジーボの薬価を半額に引き下げるという報道がされていますね。
もともと黒色細胞腫や肺がんに対して使用されていたこの薬は、腎がんなど他の適応を拡大していくにつれて使用患者が増えたことが要因です。
まぁ半額でも治療完遂に1800万円くらいかかるんですけどね。
もちろん高額医療制度のおかげでこれを実際に使用する患者さんが負担する額は結局のところは変わりがありません。
半額でもちょっと高いけどそれでも少し安心...と言いたいとことですがこのオプジーボの後続の薬は今後市場に出てきます。
その時の薬価の決め方としてはすでに上市している同薬効、同系統の薬剤の治療効果をどこまで上回るか、どれだけ使用患者が多いのか、またすでに上市している薬価を参考にして決めていきます。
つまり、「前の薬と比べて、費用対効果は高い」なんて言われても、このオプジーボがある限りは基準が高額なので今後の抗がん剤は高くなって行く一方なのです。
何パーセントOFFだとか、そういうのも大事ですけど、それが本当に大事な問題じゃない。
大バーゲンをしてくれたって、元が高くて購入する人が多ければそれは問題です。
挙句、そのバーゲンセールに並ぶ高い商品と比べられた新商品が出たって高いものは高いのです。
著作者:aussiegall
医療経済の学者さんが少ないということです。
なんで、医療経済の学者さんが少ないのでしょうか?
だって、未来がないんです。僕もいち薬剤師としては真剣には考えていきたいですけど学者レベルにはなれません。
これからの医療経済の話は、いかにセーブして、いかに資源を分配していくか、どのような倫理の規定を作っていくかということを考える必要があります。
一生懸命日本のために最もトータルで良い方法を考えて論文を書いたとしてもバカなマスコミが「あなたは自分の家族にも同じことがいえるのか!」なんていってきたりして人気商売の文系出身の政治家がリジェクトすることが目に浮かびます。
その論文を書いた人の家族の人からも理解されるかどうかという問題すらありますね。だってそんな論文書いてる息子は自分のことを医療経済のために見捨てない保証はありません。
私たち医療従事者は医療経済のプロになれるひとは少ないでしょうが、日常業務や日常診療のなかで少しでもこのようなことを頭に浮かべながらどのようにして安く済ませるか?ということを念頭において治療を行うことが必要かもしれません。
たとえばテルモ生食が50ml必要だ!なんて時に生食20mlを3本使って吸い取るようなバカな真似を控えるというような細かいことから始めるべきだと思います。