【死に場所について】:少子高齢化に伴って死に場所が無くなる?その詳細とは。
こんにちは!Ph.塩です!
今回は「死に場所について」です。
非常に重たくてタブーな話題ですが、実は日本では現在非常に重要な課題となっています。
というのも、日本は超高齢化社会であり、亡くなられる方が今後は急増していく見通しがあるからです。
日本においては国民皆保険制度で全ての国民が末期にも治療を受けられる、という事にはなっていますが、果たして今後数十年先も同じ事が言えるかどうか...
今回はそんなタブーで重要な課題、「死に場所」ということについて書いていこうと思います。
目次:
1.日本に迫る死に場所の減少
2.高齢者が増えるだけではない
3.過去の常識は変わっていく
日本は急速に高齢化が進んでいて、2010年の死亡人数は約120万人ですが、20~30年後には170万人にふくれると言われています。
単純計算ですが、「50万人以上の患者さんの命」が死に場所を新たに開拓する必要があるということです。
しかしこれに対して、日本の病院や診療所の病床数は減少しつつあるのが現状です。少なくとも今後は増えていくことは無いでしょう。
相対的に死に場所はどんどん無くなってきているわけです。
かつては戦後あたりはほとんどの方が家で亡くなっていました。医療も未熟でしたし、若い人が急になくなることも少なくありませんでした。
自宅で家族に囲まれて亡くなる、という形が旧来の格好だった訳です。
しかし、現在では医療の進歩、保険の変化からほとんどの人が病院で亡くなっています。
ここで求められるのは以下の点しょう。
・最期まで面倒を見てくれる施設、病院を探しておく。(それも元気な時に)
・もしくは家で死ぬために家族関係を整えておく、身辺整理をしておく。
しかしこのように元気な時に自分の死に方をはっきりさせておくことは非常に高い意識が求められるでしょう。
「終活」とも言われていますが、本当にその通りです。
しかしこのあたりのことはなかなか大きな声で言えるわけでもなく、市民セミナーや講義なども機会が少ないのが現状です。
高齢化社会でいつもセットで出てくる言葉があります。
「少子」です。
つまり少子高齢化社会にともなって就労年齢の人口も減っていく事になり、当然全ての職業人が減っていきます。
これは医師、看護師、薬剤師などの病院スタッフも含まれています。人が減っていけば施設も当然減っていきます。
このように少子高齢化社会では支えられるべき人が増えるのに支えるべき人が減るというダブルパンチで成り立っています。
こんな中で国が特に問題視しているのが「社会的入院」です。社会的入院とは、一般に「治療の必要があまりない人が長期間入院すること」となります。
主に帰る場所がなかったり、身の回りの事が出来ないが独居状態の方のことを指します。
社会的入院は平均在院日数を下げようとする日本の医療の中で特に異端な存在です。
入院を必要としているほかの患者のためにも、病院のベッドは空けなければいけないのに、社会的入院をしている方を無理に押し出す訳にはいけません。
このような問題を解決しようとしても、少子高齢化社会というものは今後止めることが出来ません。
今後求められることは何があるでしょうか?
今も昔も入院医療と施設入所と在宅療養のどれかから自分の死に場所を選ばなければいけない事は変わりがないでしょう。
しかし病院で亡くなることが当たり前の時代は今後終わっていくでしょう。
ただし戦後の「多産多死」という状況に戻り自宅で大勢の家族に見守られながら亡くなっていくという時代に戻るわけでもありません。
私は有料住居型施設や、老人ホームという形の施設が増えていくと思います。
ただし、有料住居というのは賃料が高く、格差社会も広がっていく一方ですから一部の方が利用するのみにとどまるでしょう。
そうすると賃料が低く、サービスの少なめな施設というものが必要となってくるかもしれません。
そして、長寿国日本ですが、ただ長寿であることだけではなく、健康寿命を延ばす必要があります。
このとき、お薬に頼って健康を保っているのでは健康寿命が長いとは言えません。
お薬が処方されるずっとずっと前から食事、運動、生活習慣に関してしっかりと意識を持ち、高齢になったときに自分の身の回りの事を自分で出来る期間を長く保つという事が重要になってくるかもしれません。
そういう意味ではもはや青年期あたりから「終活」は始まっているのかもしれませんね。