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コラム:措置入院ってなんなの?

こんにちは! Ph.塩です。

今回は「措置入院」についてです。

ご存じのとおり相模原市の凄惨な事件は世界各国で報道されており、他に類を見ない事件だとされています。

多くの方が亡くなられたことは非常に痛ましいことですが、今回の事件は以下の2点も注目すべき点であると思います。


1.措置入院などの対策が取られていたということ。
2.精神疾患などを持つ患者さんへの過剰反応


お薬にあまり関係がありませんが、今回の事件には精神科に関係する者としてとても興味があります。
ですので「措置入院」を中心に番外編として記載して行こうと思います。


1.措置入院などの対策が取られていた。




そもそも措置入院とは何でしょうか。

措置入院とは、精神保健福祉法に基づいて、「精神疾患」で他人に害を及ぼすなどの恐れが生じた場合医師2名の判断により都道府県知事が強制的に入院させる制度です。

 

「疾患」が元で入院するので、もちろんその症状が落ち着いたりすれば医師の判断により退院させざるを得ません。


逆にいえば、今回の事件も犯人が退院しているということは精神疾患は落ち着いたという診断がついたはずです。



ちなみに厚生労働省によると2013年の時点では1600人以上がこの制度によって入院しているそうです。


私は措置入院で入ってきた患者さんの薬物療法に携わったことはありません。


ただ、アルコール中毒、統合失調症、境界性人格障害、認知症のBPSD(徘徊したり、暴力をふるったり暴言を吐くなどの行動)などの患者さんが急性期症状を起こして入院してくる患者さんの診断に帯同し薬物療法を行い、毎日様子を見ています

こういった病態は長く患者さんと向き合う必要があり、ここまでやったから後は問題無しということには決してありえません。

例えば、アルコール中毒ならば、
・アルコールをなぜ飲んでしまうのか
・周囲の人は止めてくれないのか
・止めると怒ってしまうのか
・本人や家族のアルコールに対する理解は完全なのか
・アルコールを飲みすぎてしまうなら他に目を向けられないのか。
などなど

例えば、統合失調症ならば
・薬物治療の内容は完全なのか
・薬物は家でしっかり服用できているのか
・その人の支えになる人はいるのか
・症状が出た時に正しく対処できているのか、
・病気の程度に合わせた社会生活を送れているのか
などなど

こういった病気本来の治療のみならず患者さんの本質や周囲の環境を併せて考える必要があります。

もちろん措置入院の中でもこういった本人の問題点や環境上の問題点は聴取や調査などによって把握に努めますがここに問題点があります。

・聴取や調査には長く継続的な観察が必要であり、入院中だけではその人の本質はわからない
・入院期間は限定的であり、医療従事者と信頼関係を築けない
・症状回復の診断には定められた基準があり、本人がそれを満たした場合その他の問題点(家庭など)は考慮されない

などの問題点です。

病院で入院してくる急性期の精神科患者さんは急性期症状が落ち着けば家に帰ります。
しかし、本人の本質や周囲の状況が変わらなければまた近いうちに入院するでしょう。

これと同じで今回の事件も、問題なしと「病気的には」解決されても、「本人の根本的な問題としては」解決されていなかったのではないでしょうか。

もちろん優しい人、怒りっぽい人、冷静な人、熱い人、様々な人がいるため本人の性質を解析したところでどこまで介入するかは難しいでしょう。


ですが、措置入院とは病気に対する治療であるため、本人の性質や周囲の環境を解析するところまではいかないと思います。

措置入院に対して、その人の家庭環境や周囲の人の支えの有無などを考慮して退院後もカウンセリングや継続的なケアが必要なのではないでしょうか?

と思いつつ、マンパワー的問題、費用的問題など、問題は山積みですが^_^;


2.精神疾患などを持つ患者さんへの過剰反応



私だけかもしれませんが、今回の事件を皮切りに以下のような内容の記事や書籍が目につきます。

・精神疾患の患者さんに対するモラル!
・精神疾患に対する意識の改革を!

こういった風潮にはとても疑問に思います。

この事件があろうが無かろうが障害を持つ方や、精神患者さんは過去にも未来にも一定数存在し続けます。

いまさらこういう形のスポットライトを当てなくてもいいのではないでしょうか。

精神疾患の苦しみは疾患を持つ方しかわかりません。家族ですら完全にはわかりえないでしょう。
その苦しみに向き合うことやその苦しみに寄り添うことは非常に困難であり、特に部外者がうんぬんということではありません。

私が担当している患者さんは「死にたい」と言い続けたり、「殺してくれ」と頻繁に懇願してきたりします。

 


みなさんがベッドサイドにいたらこういう訴えに対してなんと答えますか?


「そんな事を言うもんではない」と答えるべきでしょうか?

「なぜそんな事をいうの?」と聞くべきでしょうか?


一般的な医療従事者の答えは「傾聴」です。


これはただ相手の話を聞くのみだけではなく、相手が話して「ああ、私の訴えたいことを分かってくれた」と思ってもらうことをゴールとします。


裏返せばその人の苦しみを今すぐ根本的に取り除くことはできないので傾聴に努めるという側面もあります。


精神的疾患はほとんどが1週間や1か月で何とかなるものではありません。
10年単位でお付き合いする例も多いでしょう。


医療従事者の心の内には長く取り組む必要性が大前提にあるからこそ「傾聴」なのです
(もちろん好きでアルコールを飲んで運ばれてきたり、彼氏とけんかしてぜんそく症状が悪化した、という例に対しては積極的に原因解析と情報提供を行います。)


この傾聴という行為は非常に難しい行為であり、相手が何を望んでいて、自分は何をしてあげられるのかということを正確に把握することはベテランの医師でも頭を悩ませることだと思います。

 

医療従事者はずっとこういったことに向き合いながら医療に携わっています。こちらが医療従事者だから傾聴をしているのだな、という形で患者さんが感じ取ってしまっても心を開いてくれません。


この傾聴を繰り返し行っているうちに、精神疾患を抱えた患者さんは本当に自分自身と向き合っていることがわかります。
傾聴を行っているうちにこちらの気持ちもすべて伝わるので最後は医療を超えて、心の通わせ合いとなります。


そういった自分自身との戦いを必死に続けている方々に私はかわいそうだとか、過度な配慮が必要だとは思えません。
コレステロールが高いとか、血糖値が高いとか、そういった程度の違いにも感じます。

「血糖値が指摘されている人をスイーツバイキングに誘わない」程度の心遣いでいいのです。


さまざまな記事で患者さんがかわいそうだとか配慮が必要だとか騒がれているのを見ると少し違うのではないかな?と感じるのです。

 

措置入院の件でも書きましたがその人の疾患や疾患を取り巻く環境に対する「改善計画」はしっかり考えるべきですが、世間一般の考え方に対して「精神患者はかわいそうで、配慮が必要」と一般的に唱えてしまうのはよくありません。


小学校や中学校の道徳の授業などで精神科の医師の監修の元、題材として取り扱うべきなのではないのでしょうか?

アメリカのようにマイノリティを認めようとする今後の社会の中でこの問題はさらに重みを増してくると思います。